2007.12.13
毎朝天保山界隈の散歩の他にもう一つ散歩のコースが残っています。
バスを降りてから会社まで7,8分のコース
まだ朝早い時間のシャッターが閉まった商店街、パン屋さんの前では焼きたての香ばしい匂いを楽しみ、
会社出入りの事務用品屋のお兄さんが配達の仕分けをしているところであいさつを交わしながら、商店街を抜けると鶴町公園

わりあい大きな公園で外周の桜、公孫樹、楠の大樹、たくさんの樹が植わっています。
秋が深まるにつれてこれらの樹の葉っぱが気になり始めます。
これからしばらく公園の一角に落ち葉の袋が並べられ、消えます。
ボランティアで定期的に葉をかき集めているおばちゃんたちに挨拶をしてお願いを持ちかけます。
掃き集めている木曜日と月曜日の午前中に収集車が持って行くようだが、落ち葉がほしいのでゴミの少ない袋を別の場所に置いていてくれないか、と
町内会長は会社をずっと前にリタイアした懇意の人でそこからこれらの情報を仕入れました。
土に還せばふかふかの腐葉土になる宝の山は、収集車に集められ焼却処分されて地球を暖めているのです。
最初は、収集場所と違うところに置いておくと他のゴミをまたそこに積み上げる人がでてくる、と心配されます。
確かに観察しているとゴミを捨てるマナーは非常に悪い。
できるだけ早く持って行くから、とお願いして受けてもらいます。
朝の散歩(通勤途中)の時、またお昼休みにちょっとのぞいて、集まっていたら会社の裏庭のストックヤードに運んでおきます。
ガソリンが高くなった今、枯れ葉を運ぶだけでトラックを動かすのも・・・
娘に頼まれた鉄板、ストックしておきたい鋼材を手配しトラック通勤で一緒に持ち帰ります。
でももう一回分また溜まっている
公孫樹をのぞいてもう葉っぱも落ちたし、今年もあとわずか、取り置きの停止をお願いして運ばないといけないでしょう。
この時期は落ち着いていますが雑草の盛んなときにマルチ代わりに敷き詰めればマルチな働きをするでしょう。
2007.12.12
おたくどちらの保険屋?
ようやく第三者裁定の結果報告が入りました。
結果はこれまでと同じ2:8だと当然のようにいう
これで不服であれば次の手続きは・・・と淡々と説明が続きます。
思わず再確認、おたくはどちら側の保険屋さんだった?
福岡のSJからの報告、これはこちら側の保険屋、相手側のSJは奈良、これは感覚的になじめないでややこしい。
こちらは責任ゼロを主張しているのにそれに対して、応えよう、動こうという気配はまったく感じられない。
自分たちの基本的なルール2:8に押さえ込もうというのが彼らの仕事なのでしょう。
第三者裁定のでは、事前に察知しようがない、逃げようがない
ということは聞いてくれたので理解してもらえたと、もう少しまともな結果を期待していたのですが話にならない。
口答で結果だけを聞かされても納得できない
、
裁定の内容と結果を文書で送ってくれ、というと相手の情報にも関わることなのでそれはできない、と
長い時間をかけて聞き取りをされて
それでは、そちらで結果を変えられてもわからないじゃないの、というと
(福岡の)SJでなら見ることができるかも、と
話にならない、福岡まで見に来いというのか
奈良に取り寄せて見てもらえるかどうか調べてみます、で終わり
まだまだ時間がかかりそうです。
2007.11.27
交渉がSJ−SJになったけれども結局何も進まない。対処法が決まっている保険屋どうしが話を確認するだけなのだから。
こちらが0%を譲らないので次のステップの提案。
第三者の機関が双方から状況を聞き取り裁定をする、ということで進めたいがどうだろうか、と。
第三者といってもこんな場合を想定しておそらく保険屋が集まって作った会社なのでしょうが、半分くらい期待して受け入れます。
担当者から連絡があり自分は福岡にいるのだが、現場を確認する必要があるのでそういうことになる、
聞き取りは電話で良いか、と確認され後日の調査を約束します。
さて当日、聞き取りをどちらから始めたのか言わないけれど、最初に趣旨を説明し、
あなたが言ったことは相手には一切言わない、逆もしかり、警察で事故の調書を取られているがそれは見せてもらえないので、
この件に関して自分は白紙なのだと。
だから、相手はこう言っているけれど、それについてはどうなの、なんて会話にはなりません。
聞き取りは順を追って状況の確認をするだけです。裁定担当者は現場を確認してきていますがそれを再度確認しながら進めます。
二人目の聞き取りで、既に決め手になるような情報を持っている場合は確認したいでしょうね。
現場を見た以外に基本的な情報が何もないのであれば作り話であってもわからない。そのことを相手に確認することもないのだから。
これは刑事さんの聞き取りとは大きく違うところでしょう。まだ聞き取られたことはないけれど。
システムとして公平なようでちょっと問題。
40分ほどかけて聞き取りがあり、これが11月の初め。
その後まだ結果の報告はありません。
保険での支払いが確定しないので月末の修理屋への支払いはとりあえず立て替え払い。
2007.11.22
事故その後
保険屋さんの出番です
相手側の保険会社から連絡があり状況を聞いた後、こちらの保険会社を教えてほしい、と。
同じ大手の保険会社でした。 仮にSJとでもしておきましょうか。
私は、こちらは何も悪くないのだからこちらのSJに関係が及ぶ話ではない、と返します。
すると、あなたの車も動いているのだから、注意義務があり2割の責任がある、と。
どんな状況であっても動いていれば2割の責任、そちらの保険会社も関係します。とんでもないことを言い始めます
本人と母親に確認すると、責任割合の話は聞いていない、父親にまかせている、と。
しばらくして相手のSJから連絡があり、
相手(私)は0%と責任なしを主張しているが20%分を保険外であなたが自己負担するか、と確認したら、しないと言っている、という。
当たり前でしょう。そんな持っていき方をしたら誰だって自分が全面的に悪いと思っていてもうんとは言わないでしょうよ。
20:80はSJが勝手に決めていること。
話は平行線のまま時が経ち、相手のSJ担当は女性から男性へ、あなたが希望した個人−SJをSJ−SJに変えよう、という提案
らちがあかないので前に進めるために受け入れます。
こちらのSJの女性担当から連絡があり、状況を確認しても言うことは同じ、
動いていれば必ず注意義務があり責任割合があるのだと、教育された風のマニュアル通りの説明。
あり得ない状況で(直前まで認識しようがない)回避も絶対にできない(横からつっこまれるのだから)のだから、
これであなたにも責任があると言われると、この世に正義なんて存在しないじゃないの。
なんのために保険に入っていたのか。
車両保険には入っていないから自分の車の修理には自分の割合分自腹を切らなければいけないし保険料も最大の無事故割引が戻ってしまうのです。
まったく納得できない理不尽
最初は頻繁にアクセスがあったSJも今度はほったらかし。
2007.11.15
話は続きます
9月のことです
法事で福岡に帰省していました
ナオコさんの妹の家から実家に移動中、ぶつけられてしまいました。
上下一車線の旧国道3号線、夜10時前でも交通量はかなり多い
信号のある交差点、信号が青になり信号待ち分の流れに乗って交差点を曲がり旧国道を直進、スピードはまだそんなに出ていません
対向車線はいま通過してきた交差点の信号が当然赤で流れは止まっている。
横の窓に車のボンネットが見えました。すぐにドン
信号で止まった列の間を抜けて(空けてくれていた)反対車線の向こう側の駐車場からでてきたのです。
こちら側の車は流れているのだから、こちらの車線に出てこられる状況ではない。
ちょうど後ろのドア1枚みごとにつぶされました。
空けてくれているから、なんとか出なければ、それしか頭になかったのでしょう。
まったくこちらの車線の状況を見ていなかった?
軽乗用車に学生が四人、前列(おそらく)の二人は平謝り
保険は使わない(友人の車で使えないと思っていたらしい)
「警察に連絡しよう」にも「呼ばないでいい、修理しますから」と。
夜も遅いし、自分の責任を認めて、保険を使わないで直す、と言っているのだから警察は関係ないか、とちょっと甘かった。
翌日、保険を使えることがわかって、使いたいから一緒に警察で事故証明を作ってもらってほしい、と連絡が入りました。
母親が佐世保から出てきて現場で会うとまた二人で平謝り。
警察では双方から一緒に聞き取り、確認しながらその状況を記録するだけ。
後になって思えばこの時にはっきり確認を取っておくべきだった。
2007.9.26
天保山界隈0709−2
少し秋を感じさせるさわやかな朝
埠頭に向かって歩いていると、前方に、ん、 マンションができた?
まったくそのような雰囲気で窓が並んでいます。
客船が入港していました。
かなり大きな船です。船名は Seven Seas Mariner
ネットで調べるとフランス船籍 総トン数 48075t
船長 216m 船幅 28.3m

大阪港入港予定の船がわかるページを見つけていたのですがそこには情報がなかった
夜あらためて 挨拶に行くとApoiseもまだ隣に停泊していました。
携帯のデジカメでは夜の撮影には対応しきれないようです
2007.9.15−−23
ひさしぶりの旅
暑さ寒さも彼岸まで というのに今年の猛暑はまだ尾を引いています。
先々週の3連休は法事で福岡に帰省していました。
帰りは久しぶりに新門司−大阪南港のフェリーを利用しましたがずいぶんと雰囲気が変わっていました。
昔はだだっ広い二等船室がドーン、ドーンと広がっていたのですが、
今は二等船室のエリアはそんなに広くなくてゆったりした一人分のスペースがきちんと区分けされています。
女性の一人旅も安心快適なようにレディースルームがありフェリー業界もただ運ぶだけではなく顧客満足を考えないと生き残れないのでしょう。
先週土曜日から日曜日は職場の研修会??現場管理の担当者がうまいタイミングで工事の切りが合い集まれたのです。
伊勢大王崎波切の宿の料理はひおうぎ貝以外は大盛りの刺身、煮付け、焼き物、酢のものと全てさかなのみ。
風呂は志摩スペイン村のひまわりの湯、愛用者の誘導で、ここは入園料がいるのではと思ったのですが、
それはなくて駐車料千円はそのまま一人分に充当されるシステム、のんびりゆっくりだったら千円の値打ちは十分あると皆が評価するいい湯でした。
露天風呂から太平洋に望む夕日は沈んだ直後で残念ながら拝めなかったのですが。
朝、宿の部屋からは眼下に瀬に寄せる白波、太平洋の水平線は地球が丸いことをはっきり確認できるように広がっていました。
朝は小学校の運動会に間に合うように帰りたいS君と一緒に6時30分に宿のおばさんに鵜方の駅まで送ってもらいます。
特急で奈良に帰る彼と別れて到着3分後発のローカル電車にまさに飛び乗ります。
これから伊勢路ローカル線の旅のはじまり、関西線月ヶ瀬口まではいろいろな路線でコースが選べます。
できるだけ近鉄特急を使わずに、乗り換えの待ち時間を少なく、料金も安く。
鉄道ファンとして楽しめる時間。
各駅停車の近鉄から鳥羽でJRに乗り換えます。乗り換え時間4分は走ってもぎりぎり。
鳥羽からは名古屋行きの快速みえ号はのんびりと伊勢路を走ります。
エキスパートでは津で乗り換えてまたローカル列車で亀山への指示。列車は気動車、横文字で言うとディーゼルカー、
単線はともかく非電化区間なんて昔々の用語だと思っていたらまだまだ残っている。
ここで疑問が、亀山に行くのになぜ津で乗り換えなければいけないのか。
伊勢から名古屋へ行くJRは必ず亀山を通る、この思いこみは一応正解。
津から名古屋へは伊勢湾寄りに第3セクターの伊勢鉄道が走り、伊勢鉄道の快速みえ号は鳥羽−津間の紀勢線に乗り入れ運転をしていたのです。
亀山からJR関西線、2両編成のワンマンカーはお客でいっぱい。こんな朝からどこに行くのでしょうか。ほとんど山の中を走ります。
客は柘植で草津線に乗り換え、甲賀、信楽に行くのか
次の伊賀上野では近鉄電車に乗り換え、これは伊賀の忍者に会いに?
月ヶ瀬口では娘がトラックで迎えに来てくれていて里山へ
2007.9.14
天保山界隈0709
埠頭に立つとさわやかな潮風 天気もいいのでこのところ毎朝埠頭まで歩きます。
風景はいつも違うので、飽きることはない。
御堂筋で有名な公孫樹並木はこの天保山界隈も立ち並んでいます。
大観覧車の下でふと見上げるとまるい青い実がたくさんついています。
茶碗蒸しの中の銀杏とはイメージがつながらないけれど、秋までの変化を楽しめます。
ということ
は収穫も?
埠頭にでて、 今日も船はいない、 と思ったら奥の方に停泊しています。
近づくとスマートな後ろ姿
異人さんが少し浮いた昇
降タラップから降りています。
前に回っても優雅な美しい顔を持っています。
同じく関心を持って眺めている犬を連れたおじさんが、この船なんだろう
・・・、ときどきこんな船がくるんだよね、大富豪が個人でクルージングしているような
船体は船らしからぬ乗用車のような塗装でやはりただ者ではありません。
船名?の Apoise で調べると検索の結果は横文字ばかり
唯二の日本語の情報では今週の始めまで半月ほど函館にいたようです。
ということはしばらくは会えるのかも
2007.8.6
天保山界隈0708
8月3日金曜日、岸壁に大きなタンク状の緩衝ブイがいくつも浮かんでいます。当然大きな船の入港が予感されます。
朝早くから子供達が乗った遊覧船が走っているのも面白い。
月曜日、遠くからレーダーアンテナがくるくる回っているのが見えます。埠頭は閉ざされ立ち入り禁止、船はグレー、といえばこれはもう自衛艦。
4隻見えます。見ているうちにも機動隊のバス、警察関係の車がどんどん埠頭に入っていきます。警戒が厳しい。
自衛官服の入場口警備員に、何ごとか、と聞きたいけれども、やはりそうはできない近寄りがたい雰囲気があります。
携帯デジカメを向けたときはフェンスのすぐ向こうに立っていて、何か言われるかなと予想したのですが何もありませんでした。
戦時中ならすぐ憲兵に引っぱられるところでしょう。
いい時代です。
Webで調べると海上自衛隊の展示訓練と呼ばれるもので、体験航海が土曜日にあったらしい。
別の情報では中止になったようでこのあたりは動きが複雑です。政治的な背景もあるのでしょう。
2007.7.24
天保山界隈0707 (24年ぶりの再会)
名古屋の現場出張で久しぶりとなった朝の天保山埠頭
帆船が係留されています。さらにその先に大きいのがもう一隻
小さな方は“あこがれ”大きいのが“海王丸”
あこがれは大阪市所有、海王丸は航海訓練所所属の日本を代表する帆船です。
21日土曜日に帆走、翌日曜日に一般公開があったようです。
朝は時間がなかったので帰りは終点までバスに乗り夕暮れの埠頭に立つとライトアップして迎えてくれました。
帆船を見るのは24年前子供たちがまだ小さい頃同じこの場所で開催された大阪世界帆船まつり以来です。
このときには世界各国から10隻の帆船がこの大阪港に集まりました。
海王丸もいたのですがそれは先代
こんな突然の楽しみがある通勤、楽しみの感じ方は人それぞれでしょうが、
一歩踏み出せば楽しいことに出会える可能性はたくさんころがっています。
2007.7.5
天保山界隈(1)
前にも話をしましたが、今通勤は地下鉄中央線を大阪湾のほんの近く、大阪港でバスに乗り換えます。
雨でなければバス停ひとつ分、バス始発の天保山まで歩きます。天保山界隈の朝の雰囲気がいいのです。
通りは歩道も広々として車は少なく、街並は新しくはないけれども港町というたたずまいでちょっとハイカラ、
時間があれば入ってみたい落ちついた店構えの喫茶店もふたつみっつ。
どこでも界隈と呼べるものではない(と思っている)のですが、ここはこの言葉がよく似合っています。
この通りをもちろんセカセカではなくブラブラでもなく歩きます。
大観覧車前の始発バス停をすぎるとすぐに岸壁=天保山埠頭、四国航路の発着岸壁ですが朝はターミナルも閉まっていて人影はありません。
岸壁の前は安治川の航路で貨物船やタグボートに曳かれた運搬船がゆったりと行き来します。
いつもは対岸の桜島埠頭に倉庫が見えているのですが、時にその風景が遮断され船がいたり大きな壁があったりします。
壁も実は船なのですがそのときには相当に大きな船。
そんなに大きくない船はしばしば水産学校の練習船です。演習航海の途中に立ち寄っているのです。
下関水産大学、鹿児島大学、北海道庁、山口県(水産高校は県が船を持っていることが多いようです)、
やはり海洋国日本、いろん
なところが船を持っていることを知らされます。先日は韓国の水産大学が停泊していました。
朝、町中に出て行く学生達とすれ違いますがみんなきちんと詰め襟の制服を着ています。船を下りたときの行動も演習のひとつなのでしょう。
大きな船はクルージング客船でこれにはめったに当たりません。
クイーンエリザベス2世号が来たときは入港する前から人が集まり、どこで情報を仕入れたのだろうかとWebで探しますが見つかりません。
蛇の道は蛇。どこかに好きな人たちの情報ネットワークがあるのでしょう。ちなみにQE2は2009年世界周航を引退の予定でもうここで会うことはないでしょう。
これらの船がいなくても、青い大きな空の下で小さなタグボートが大きな荷船を連結してのんびり曳いているのを見れば、
いい風景だな、と気持ちよく一日が始まるのです。
2007.6.30
今使っている携帯のデジカメは130万画素。 10年前、最初に手に入れたデジカメは41万画素でした。
カメラにフロッピーが内蔵できて、それでもフロッピー1枚で画像20枚ほど、当時の主流の媒体が何だったか忘れましたが容量は小さくて高かった。
ヨーロッパの橋梁視察の旅に持って行くのが目的だったので当時は画像データの保管に経済的には一番合理的だったのです。
七十枚のフロッピーは安かったけれどスーツケースの中で嵩張りました。そんなものでもバッテリーの予備も入れると10万円を超えました。
これに比べると今の携帯はずっと上のデジカメです。高精細にすればデータは300KB、さてこれをパソコンに取り込むにはメールで送らなければいけない。
これが電話会社のねらいです。携帯でのいろんな利用やサービスが増えるだけ通信料の収入が増える。
自分のデータを移動するのに通信料を払う、そんなバカな話もないので取説を見ると接続ケーブルがオプションで付いています。
早速購入してパソコンとつなぐといろんなことができます。
画像データの取り込みはもちろん、電話帳のバックアップ、スケジュール表はパソコンでデータを作って送り込むと携帯では見るだけですみます。
こうなると携帯は高度な情報機器。
ほんの10年でも世の中こんなに変わりました。
2007.5.14
母の日には間に合いませんでしたが母が描いた水彩画のギャラリーを新設しました。
今準備を進めている(母の)自分史の挿絵にする画を送ってもらいスキャナーで読み込んだものです。
書は八十余年のキャリアがあるのですか画は数年前に隣町の先生に習い始めたものです。
親父も絵が趣味で作品をたくさん遺していますが母が始めたのは父が亡くなってから、
今楽しみにしているガーデニングも盆栽を整理して(そのいくつかは里山に地植えされて元気です)庭が自由になってから、
親父は亭主関白ではなくそのような楽しみを押さえていたということはまったくないのですが、やはり一家の主人の領分に遠慮していたのでしょうか。
もっと早くからやっていれば二人でたくさん行った旅行は一緒にスケッチが楽しめたのでしょうが。
2007.5.3
カーポート拡張で自宅庭が少し狭くなりましたが、その分手を加える気になったのか
ナオ子さんは今年は特に庭の花壇に力を入れています。
ラチス、フェンスは手作りです
木香バラなどツルバラもこれから伸びて立体的な展開を見せるでしょう。
誘引枠組みの溶接作業がこの先に待っています
庭をこれから四季折々に紹介していきます
自宅Gardening 2007年5月
2007.3.16
西鉄宮地岳線
福岡市貝塚から北九州方向に玄界灘沿いに宮地岳を経て津屋崎まで走る単線のローカル電車線。
新宮から終点の津屋崎までの区間(この区間内にわが故郷古賀はあるのです)が、
今月末で廃止される、と兄から聞きおもわず涙がこぼれそうになりました。
ふだん乗ることはほとんどなかったのですが線路横の道を通って小学校に通い、
正月は家族そろってこの電車に乗り宮地嶽神社に初詣に行くことが年初の行事でした。
その思い出が消えるわけではないのですが、線路が消えその風景がなくなるのはやはり寂しいことです。
鉄道ファンとしての思い入れもあります。
母のこと
先月末のことですが92歳の母が入院したと弟から連絡が入りました。
扁桃腺が化膿し腫れと膿でしゃべることも食べることもできなくなったようです。
我慢しているうちに少しずつ悪くなったのでしょう。
一週間入院予定の退院予定少し前頃、実家に電話すると元気な声で本人が出てきました。
患部を切除して早く回復退院したようです。
先生や看護師さんに70代だとほめられ長生きの自信をつけた様子
予後の診察にこの電車を利用して九大病院に行った(もちろん一人で)のですが、
帰りは乗り納めだと思い立ち、降車駅を乗り過ごして福間の保養施設(厚生年金センター)まで行きお湯を楽しんできたのだと。
さすがわが母親だと笑ってしまいます。
この気持ちを持ち続けていれば百歳くらいはなんでもない。
孫の結婚式には一人で奈良にでてくることになっていたけれどもさすがにそれは取りやめましたが。
2007.2.7
今年に入って団塊世代、定年後の生活をテーマにしたテレビ番組が目立って多くなり団塊世代がことさらにクローズアップされています。
2007年問題とも呼ばれていますが、プレハブ教室、受験戦争、就職戦争、結婚問題、ジュニア世代誕生、
と生まれてから節目ごとにずっと話題にされ続けてきたこの世代は、なにしろ人数が間違いなく多いということで社会に与える影響も大きいようです。
「ジェットストリーム」の通販CMがテレビで繰り返し流れています。
JAL提供のミスター・ロンリーをバックに城達也の独特のナレーションで始まるFM深夜放送、
グループサウンズ、フォークソングとともに団塊世代が振り返る青春時代のBGMなのです。
これは明らかに暇になるであろうと予測される団塊世代をターゲットにしたものでしょう。
週刊×× 創刊号にバインダーを付けて290円 この手の創刊が昨年末から6シリーズも刊行されています。
これも団塊世代に狙いを定めた商品企画でしょう。
そのひとつ週刊ロボザック、部品を少しずつ与えられていつかロボットができあがる。1冊1990円が創刊号は790円、
これに引っかかると完結しないと意味がないのでモノにするまでには85冊167,950円也のお買い物、途中でやめるとただのゴミ。
こんなものに手を付けられるのはお金と閑を持った団塊世代、と思うのは大きな間違いです。
団塊世代のおばさん達は一般的な年齢差でつれあいとともにもう落ちついた年金生活に入っているけれど、
団塊世代のおじさんのつれあいはまだ少しは若い(と言うと語弊があるし、言い直すとさらに語弊がふくらむのだけれども)年代で、
彼女らはこの刺激の多い販売攻勢を如何にかわして購買意欲を押さえつけるか、これからが正念場なのです。
これからの濡れ落ち葉と一緒にいる時間をできるだけ少なくするために、また自分たちが楽しんできた文化的な生活を
できるだけ長く快適に維持するために、亭主のケツをたたいてまたとにかく仕事、と家から追い出さなければいけないのです。
週刊××、 エスカレートすると週刊ログハウスなんてとんでもないものもでてくるかもしれない
今週は丸太3本、来週は開き窓なんてね。
何が起こるかわからない世の中だから
2007.1.25
一陽来復
冬至を過ぎてまた日が長くなり始めました。
里山での作業時間は日照時間で決まるので日の入りが延びるのは特にうれしいのです。
ずっと以前にも紹介したことがあるのですが
日の出と日の入りの時間の動きに興味深い現象があって、
今年に入ってから日の出は4分しか早くなっていないのに日の入りは22分も伸びている。(1月25日現在)
二つの時間の動きに大きなずれがあり、グラフにすれば日の入りは来復に上向きであるのに日の出はまだサインカーブのどん底にあるのです。
秋の陽はつるべ落とし、というのはこの逆の現象から受ける気持ちの反映かもしれません。
日の出とともに起床し働き、日の入りで就寝に入る、昔の人は生活が季節に大きく左右されていました。
最近近所にオープンした大型ショッピングセンター(AEON)で夜11時の閉店間際に小さな子を連れた家族連れを見ました。平日の話です。
懐古主義ではありませんが四季に恵まれた日本にいて四季を意識する生活をしたいと思っています。
2007.1.17
里山HP、これまでは前提とか人となりをある程度知った人(いわば身内)が見てくれている、
というスタンスで構成、表現していたのですが、
「里山」のキーワードで検索エンジンの上位にいるということを認識し、
そうしてみれば検索エンジンからたまたま覗いてくれた人の立場で見ると、
これはどんなページなのか、説明もなく不親切なHPだったことに気が付きました。
リンクでもきちんと紹介してくれているのに。
HPを公開していることの意味から考えなおさなければいけないことですが、
お役立ち・有用情報ページのようにみんなのために役に立つ、というようなものでなく
(いや同じようなことをしたいと思っている人に多少は参考になっているかもしれないけれど)
自己顕示欲がかたちになったもの
そう言ってしまえばみもふたもないのだけれど・・・・・
時々はなんでこんなことをしているのだろうと思ったりもしているのです。
話を戻し、結論を言うと、ページの入り口に全体をわかりやすく説明する案内板を作るということ
もっともある程度形が出来上がった今だからできることで、また数年経てば見直しが必要ですが
2007.1.13
昨年末の話になりますが、
正月休みの作業の資材(鋼材)を発注し、引き取りにトラックで通勤します。
すぐガソリンが残り少ないこと、クレジットカードを忘れてきたことに気が付きます
国道163号、生駒山清滝峠を越え四条畷、門真、ガソリンスタンドはたくさんありますが、
セルフと価格をチェックして条件を満たす店を見つけ車をつけます。
セルフの操作盤これがなかなか難しい、すぐにはいうことを聞いてくれません。
お釣りはどこで受け取るのだろうと見てはいました。いろんなボタンを押しても先に進まない。
1万円札を放り込むとようやく操作盤は動き出す、現金。
満タンにして給油完了、領収書は必要や否や、のメッセージ、そんなことはどうでもいいのだ。
気にしていたおつりの受取り口は見つからず、1万円札を飲み込んだまま操作盤は休息状態に入る。
お釣りを出してよ。
順にチェックしていくとある口にカードが一枚、見ると1万円のプリペイドカードでお釣りは残金として印刷されている。
なんで、今度いつ来るかわからないゆきずりの店でしか使えないカードを買わなきゃいかんの。
不親切不十分な装置のご都合なのか、意図的にリピータを逃さないとする策略か、まったくだまし討ち、雲助みたいなものです。
他のセルフの店を見ていると大きく「おつり」と書いたスタンドが1本単独独立に立っている、それが普通の商売というものでしょう。
あとで電話をすると路地の奥に事務所があってそこに来てもらえば清算すると。
経費削減のためにセルフの店は急激に増えています。カードがないとガソリンも容易に入れられない時代に。
雇用の機会は失われるは、まったく生きにくい世の中になっていきます。
話は変わりますが、
Yahooで 「里山」 を検索していると里山らんどが25番目に現れました。
2、380、000件の中から。
検索エンジンのランキングの仕組みはよくわかりません。
瞬間風速みたいなものかもしれないけれど、
私の好きな言葉「里山」に関心を持つ人はHPを見てほしい人達なのでアクセスの可能性が高いランクはうれしいことです。
2007.1.1

新年あけましておめでとうございます
自宅での今年の初朝、 なにか音がします。
「なんの音」、 「鳥の音」、
だって里山では鳥が朝からいろんなところをつついている
「なんで」 ふとんに ぽたん ぽたん と水滴が落ちる音だった *1
真上の天窓の結露が落ちてきていた。これは初めてのこと
あらためて見るとロフト天井壁紙に天井を横断する一筋の亀裂 *2
今年一年を暗示しているのか
でも
テラスデッキ、金の生る木 に花が咲いています
これも今日1月1日気がついたこと
まあ良いこと大変なこと、いろいろあるということか
母からの年賀状 一枚一枚手書きしたそうです
元気なことが一番嬉しいことです
*1 このテキトーな応答にこのあとどれだけこれまでのいろいろななテキトーが引き出されたことか
*2 専門家としてみれば、結露の流れ跡はシミになっていて、これまで気がつかなかっただけ
おせち料理にひさしぶりに家に潤いが満ちた?
亀裂がこの朝走ったとすれば奇跡的なこと、最近は見上げるということがなくなっていた!
寝室は上にロフトを持つ大?空間、屋根梁のスパンが大きいので長年のたわみの歪みが1線に集中して現れた