至耕天の畑から眺めると茶畑の上の方にたくさんの人の姿が見える
こんなことは初めて
最上の数列の茶畑はシートを被せてあってそれは収穫を早めるために、ということは聞いていたけれど
拡がる茶畑の向こう 
霞んだ山並みに見えるけれど、尾根でなくそのまま奥に高原状に拡がる”野殿、童仙房”
明治の初めに開拓された同じ南山城村の集落が点在します
右手枯れ茶色の部分 下にため池がありその周りがワラビの収穫場所 一日おきくらいにたくさん採れます
見に上ると茶摘みをしていました 手摘みを楽しんでいるグループに見えますが、実は集められたアルバイト
すぐに製茶して翌29日の初競りに出すために働いているのです
初物の手摘み 高く取引されるそうですが、後日裏の茶畑をやっているNさんに聞くと
製茶すると摘んだ量の1/5ほどになり、午前中の茶摘みに自給800円ほど払い・・・
その他もろもろ支出があり  そんなに残るものではない のだとか 
初競りを盛り上げる心意気なのでしょうか